SNSはほどほどに、ができません
最近元気になってきた理由のひとつとして、たぶんSNSをほとんど見なくなったのもあるとおもう。(主にTwitter)一時期ほんとうにSNSがいやんなってしまって、もう全然触らなくなって、タイムラインもちょっと見てるだけで頭が痛くなる時期があった。
言葉を追いかけるのに頭がついてこない、「羅列された文字」が強くてツイートひとつ真剣に読もうとしても、目がすぐに疲れて気分が悪くなる、みたいな。
それからあんまりTwitterをみなくなった。そしたら頭のなかがちょっとだけスッキリしてて、余白ができたかんじがあった。よし、余白ができたから他のことをしようって本をたくさん読んで、3日に1冊のペースで長編・短編関係なく小説を集中して読んだ。
頭んなかが忙しいのはよくないのかも。常に余白をつくれるようにしたい。でもこういうことを言うと、今時SNS使わないなんて仕事できませんよとお叱りをうけたりする。しかも結構な割合で。
そんなふうに言われると、そうかもしれないと思って、またタイムラインを追ったり投稿に勤しんだりするようになる。すると、やっぱり自分のあたまの余白がなくなるのに気づく。
もしかしたらわたしはみんなより脳みそが小さいのかもしれないな。でも自分にとっての健康ってなんなのか改めて気付けた。
ドラマ『不適切にもほどがある』で、主人公の小川(阿部サダヲ)がLINEを初めてつかったら楽しくて夢中になってしまい、仕事も手につかないうえに人との距離感がおかしくなってみんなからキモがられるシーンがあった。
そんなとき、小川の姿を見かねた渚が(仲里依紗)「SNSは本気で打ち込むものじゃない」とミュージカル調で忠告するのだけど、そのシーンには胸がずきりとした。
多くの人は没頭せずにほどよく日常の一部として使っているのだけど、わたしはやっているとついつい没頭してしまい、自分に向かないといけないはずのやじるしがあちこちへ飛んでしまうのだ。そうすると自分の言葉で文章が書けなくなる。0か100か人間はバランスよくできないんだよな。
だから、最近はスマホばかりみないで、ひたすら散歩をし、ひたすら公園に行く、という日々を繰り返しています。
こないだは小田急線で藤沢まで行ってそこから江ノ電で極楽寺へ行き、山を降り、長谷駅からひたすら由比ヶ浜をみながら鎌倉へ向かった。財布のなかに1000円だけいれて。途中くたびれて公園で休んだ、空が広くてきもちよかった。

空の鮮やかなグラデーション
別になにをするでもなく目的もなくひたすら歩く。ある意味瞑想に近い。でもこっちのほうが家のなかでスマホとかパソコンにずっとはりついてるよりいいなって。
もしかしたら、思考が行動がだんだんとアナログに戻ってきてるのかもしれない。むしろ戻りたいかも。だって、自分の生活を整えて健やかに毎日を過ごすほうがなによりも大事なのだから。まあ、いつまで続くかはわからんけどね。
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