汚い言葉と父
今朝おもしろいニュースを見ました。

nazology.net/archives/139888
大声で罵倒する行為は身体的な痛みを軽減する効果があると示されていますが、実は心理的な痛みも緩和される事が分かっています。恥ずかしい思い出に思わず「クソが!」と叫んでしまうのも意味があるようです
実に興味深い研究結果です。しかも、叫ぶことによって身体の痛みだけではなく、心の痛みまで緩和されると。
そしてこの記事を読んでわたしはある人物を思い浮かべました。うちの父です。
”椅子の脚に小指をぶつけた時など、思わず「チクショー!」のように汚い言葉を大声で叫んだことはありませんか。”
と、記事内に書いてありますが、父は椅子の脚に小指をぶつけてなくてもしょっちゅう「チクショー!」と叫んでいます。
たとえば皿洗いをしてるとき。うちは5人兄弟父母の大家族だったので、ご飯の後はシンクに食器が山盛りになってしまい、洗った後、皿の置き場がたびたびなくなります。キッチンが激狭だから料理や皿洗いなど、ここで作業をする人は頭を使って工夫しなければいけない。
父は皿の洗い方がやや乱暴なので置き方が悪い。積んでいた皿がジェンガで失敗したときのようにがらがら崩れると、父は「なんだこりゃチクショー!」とキレるのです。
テレビが故障して画面が映らなくなったときも、料理を失敗したときも、サッカー観戦で日本が相手チームに負けたときも、父は大声で叫んでいました。「チクショー!!!」
良識のある大人なら人前で汚い言葉を叫ぶことはあまりないと思います。いや、ある時もあるけどただ父の場合は声もやたらとデカく頻繁に叫んでうるさいから、(普段は無口なくせに叫ぶときだけやたら声が大きい)わたしは父が大声でなにか言ってるのが聴こえてくると興醒めし、他人になった気持ちで自分の部屋へそそくさと戻っていました。
しかし、あの行為によって父の身体や心の痛みが軽減されていたと思うと、すこしだけ許したくもなる。
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もうひとつ、父が昔から使っていた汚い言葉シリーズに「とろくせえ」という言葉がありました。※正確には「とろくさい」。馬鹿馬鹿しいという意味で、愛知の方言らしい。
「なんだほや、とろくせえ(なんだそれ馬鹿馬鹿しい)」
「なにとろくせえこと言っとるだ(なに馬鹿みたいなこと言ってるんだ)」
という感じで、息をするように日常的に使っていた。きっと生活のなかで馬鹿馬鹿しいと思うことが多かったのだと思います。
父があまりにも使うので標準語だとおもっていたくらい。よかった人前で使ったりしなくて。
とは言うもののわたしも父と同じくらい口が悪いので、心と身体の痛みを軽減させるためにたまには叫んでみたい。クソが!バカめ!チクショー!
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